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この人たちのための特別な福祉施設は必要か  
    - 知的発達障害者刑事弁護センター・ニュースレターNo.72より-
                                             副島 洋明

 私はこれまでもこのニュースレターなどで、刑事事件をおこしたり、問題行動をおこしたり、そして刑務所から出てくるこの人たち(知的発達障害をもつ人たち)の“処遇”をめぐって、書いたりしゃべったりしてきています。この問題は差し迫った緊急課題で、机上の観念的な問題ではありません。例えば、所沢事件のNさん(自閉症/中度の知的障害)、公判停止にはなりましたが、法的には被告人のままで保釈先の知的障害者更生施設に入所させられています。Nさんは生来的(?)に施設の集団生活にはなじめずにいろいろな問題行動(パニック、自傷等)をおこし、時には「脱走事件」をおこしてきました。昨年の夏は脱走して自宅(空き家)での籠城事件までもおこし、大捕物の騒ぎでした。しかし、保釈取消しをしようにも、家族や地域にそんな彼(これまでさんざん事件をおこしてきました)を受けとめてくれるところはありません。それではどう考えたらいいのか、という問題です。

 施設暮らしに「なじめない」(拒絶し抵抗する等)というのは、なにもNさんひとりではありません。私の知る多くの人たち、とりわけ刑事事件をおこし被告人となった人たちは、確かにホームレスで困窮し追いつめられて事件をおこしていますが、それでも施設におとなしく入所できるかというと、ちょっと考えられません。宇都宮事件のCさんもそうです。1部には、今の福祉制度の動向から、入所施設や精神病院の空きベッド(空き定数)を利用・活用すればいいではないか、“事件”をなくすということでは社会のためにもなるし、またこの人たちのためにもなるではないか、との“主張”もみられます。

 しかし、極論かもしれませんが、“事件”をおこすこの人たちは、私たちに都合のいいようにおとなしく従順であることをやめた人たちです。社会が押しつける安全や保護を自分はイヤだと拒む人たちです。だから“事件”や“問題”だということになっているわけです。CさんもNさんも、多くの“事件”をおこすこの人たちは、確かに刑務所は力づくですから、あきらめさせられて否応なくなじまざるをえませんが、だからといって今の福祉施設になじめるかというと、違います。なじませるには、刑務所のように否応なしの“体制”が求められてくるのではないでしょうか。刑務所のような障害者施設ということであれば、それは確かにあきらめさせられるでしょうが、問題ははたしてそんなことができるのかどうか、ということです。おそらく、この人たちを入れる施設となると、現状では高い塀で囲んで鍵をかけ、逃走防止装置をはりめぐらし、そのうえでパニックや問題行動をなくすために鎮静と反省のための隔離部屋をつくって監視と規律の“復活”を検討せねばなりません。いや、従順にさせるには、その人に合った居室と作業所とコミュニケーションの緻密な構造化となるのかもしれません。(刑務所は監視と規律が行き届くように受刑者の生活から行動が構造化されていますので、安定するともいえます。)

 私からみて、今の障害者施設をそのまま社会的支援度の高いこの人たちの処遇の場にするには、多くの問題がありすぎます。脱走もかまわない、事件・事故もしょうがないという“覚悟”とそのための“人件費”がつくれるのかどうか、つくれたとしても、その前提としてこの人たちがそもそもそんな施設への入所を選択しえるのかどうか。刑務所のようなところに無実の人間を、社会的に迷惑だから安全・安心だからといって強制的に引っ張って期限なしに閉じこめるということは、そもそもできません。では、親がイヤだという本人に代わって強制的に入所させられるのか。もうそんな時代ではないし、そんな施設をつくる社会的意義もありません。施設の是非以前に、どう考えても、処遇として刑務所に代わる入所の障害者施設などという場所は、現実の制度として考えると無理ではないでしょうか。
 だからといって、この人たちに福祉(支援)がいらないというのではありません。家族・身内をなくしたこの人たちが今生きている地域(暮らし)は暴力と搾取にみちたところで、追いつめられた貧しさと排除しかのこされていません。へたすると、このシャバはあの隔離された刑務所よりも悲惨な暴力的状況が待っているということ、それを考えるとなんとかしなくちゃという気になって、我慢させて福祉施設でも、ということになります。しかし、生きるあてのない従順な人たちは障害者施設に、という視点それ自体、実際、刑事事件をおこした人といえども許されるのでしょうか。

 最初に書いたように、どうしても従順でない、手のかかる多くの人たちの“処遇”はのこってしまいます。CさんやNさんです。私からみて、関口さんのレポートにあるように、やはりCさんのような支援のやり方しか残されていないのではないでしょうか。この危険なシャバで、少々の事件や事故も覚悟してその人に合わせて地域で支援する、この生きにくいシャバで逃げ込める福祉(支援)だけは用意する、せめてひとりふたりの専属の支援者がいて日常的にかかわっていく、その中で助けられるよう、また頼れるような信頼関係をつくっていく、そんな支援の関係をまずつくることからではないのか、と思っています。いってみれば、私のいうところの<シェルター>になります。この逃げ込めて頼られる関係としての“支援者”の存在です。Cさんはそれを必要としていたし、今もそれを使って、いろいろ問題をおこしながらもCさんらしく無敵に生きています。おそらくNさんも、家族や自宅とは別にそんな支援者と居場所があれば地域でやっていけると思いますが、今のところそれはありません。Cさんの“存在”は、我が国の社会のありようとともに、この社会でさんざんいじめられ苛酷な境遇にあった人たちの生き方をも示しているようにも思います。


あらためてシェルターについて

 私はこの人たちの刑事事件の弁護や支援にかかわってきた立場から、この人たちの“福祉の課題”としてシェルター、トレーニングセンター、そして成年後見センターの3つを3点セットと称して「提唱」したりしています。とりわけシェルター構想が中心です。前述した通り、事件・事故もトラブルもそれなりに覚悟して、ホームレスや放浪のうえで逃げ込めてひとりになれるところ、とりあえずは暴力と飢えと病気といった緊急事態からの避難所という意味です。私が弁護しているこの人たちに、<出てきたらここに来いよ/連絡しろよ>といえるところが欲しいということです。そのうえで“福祉”につなげていくために、成年後見センター(今の制度化されている成年後見ではありません! 権利擁護活動の拠点の意味)とトレーニングセンターを“想定”しています。どうですかね。

 私は自分の目の前のこの人たちが、それまでの生育の中で福祉から排除されつながっていないことにいつも腹を立ててきました。福祉や支援につながっていれば、/福祉につなぐところがあれば、事件は違ったものになったのではないかと、そう思っています。申請と契約では「社会的弱者」は救えません。関係をつくる介入が必要です。  


                                 
知的発達障害者刑事弁護センター 事務局
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