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やっと障害児のお母さんたちと会えた!

          

NPO 法人 サポートセンターあおぞらの街 理事長  明石洋子

 
〜著作『ありのままの子育て』から、転載〜

仲間を求めてやまなかった私は、とうとう障害児のお母さんたちと出会うことができました。  当時、(川崎ひまわり父母の会)という親の会が市内のあちこちに「地域訓練会」をつくっていて、ちょうどわが家から数分のところにある幸保健所日吉分室で、「幸地域訓練会」を開いたところでした。私は幸保健所の月1回の「子育て相談会」には参加していましたが、そこだけでは物足りなく思っていましたので、「分室で開かれている地域訓練会にも参加させてください」と、保健婦さんにお願いしました。「地域訓練会」というのは、当時は今のような療育センターも整備されてなく、公立保育園も障害児の受け入れをしていませんでしたので、困った親たちが自分たちで運営する「障害児療育の場」をつくっていたのです。

*親たちの「地域訓練会」に、専門家も、行政も

1976年(昭51)1月8日,保健婦さんの紹介を受けて、私は三歳になったばかりの徹之と、やっと首が座ったばかりの三ヶ月の政嗣をおんぶして、幸地域訓練会をたずねました。九組の親子がいました。若いお母さんたちが子どもたちと元気に遊んでいます。みんな明るく楽しそうで元気いっぱいなのが印象的でした。私たち親子もすぐ仲間に受け入れてもらいました。メンバーが10人にも満たない、しかも子育てに新米の若い親たちの集まりです。川崎市から指導員が派遣されて、月三回、保健所の空いている時間を使って開いていました。毎回のカリキュラムもスケジュールも親たちで作り、会を開くたびに倉庫から自分たちで、絨毯や机、椅子、遊具などを運び出して準備するといった、本当に手作りの小さな会です。入会して二ヵ月後、私は会長にさせられました。超多動の徹之とまだ椅子に座ることもできない政嗣を連れての会長の仕事はとても大変でしたが、私にはそれ以上に勉強になり、やりがいがありました。私は先輩はじめ障害児のお母さんたちと出会えて、本当に嬉しかったのです。それへの感謝の気持ちで会長を引き受けたのですが、皆さんが支えてくださって、楽しく勤めることができました。私が活動しやすいようにと、地域のボランティアさん(障害児の先輩のお母さん、今も支援者です)が、いつも政嗣をおんぶしてお世話してくださり、子育てに新米な私をいつも助けてくれました。 地域訓練会では、お絵かき、粘土遊び、ちぎり絵、フィンガーペイントをしたり、それから運動では、ボール遊び・マット運動・ファニートンネル・平均台・跳び箱・トランポリンなどをします。各月には季節感あふれる行事(節分・ひな祭り・七夕・クリスマス会など)も計画して楽しくすごします。外に出かけることもよくしました。夢見が崎公園、三ッ池公園、鷺沼プール、生田緑地、さらに遠出して、東京タワー、サマーランド、こどもの国、多摩動物園など、みんなで一緒に計画して、楽しく実行しました。また、楽しむことだけでなく、講演会を企画したり、障害児を受け入れて統合保育をしている無認可の保育園を見学したり、子どもが大きくなった時のことを考えるためにと、養護学校や施設へも見学に行きました。地域訓練会は、はじめは助成金も少なく人手も足りなかったのですが、保健婦さんやケースワーカーさんや行政の職員の方たちが積極的に関わってくださいました。指導員も派遣してくださり、月三回が週二回、三回と開く日も増えました。参加する障害児も増え、予算も徐々に増えて、専従職員を確保できるようになりました。中でも、神奈川憲県小児療育相談センターから出向して専従職員として来てくださった板垣百合子さんには、本当にお世話になりました。私の子育ての不安感を解消してくれたのはいつも彼女です。ある時、私が、「辛くて悲しくて、徹之と一緒に死にたい」と言ったら、「死ぬなら、あなた1人で死んでね。てっちゃんは私が育てるから」と言ったのです。そう言われて私はハッと目が覚めました。そして、「他人に育てられるなら、母親の私に育てられないはずがない」と思ったのです。彼女の言葉は下手な慰めよりもしっかり私を支えてくれました。彼女はいつも、「ありのままの徹之」を受け入れてくれたのです。地域訓練会は、障害児が療育センターや通園施設のような整備された特別の場所に集められて、訓練を受けるところではありません。場所も保健所の分室(区役所の支所に併設)ですから、私たちが生活しているすぐそばにあり、一般市民がたくさん出入りしています。そこに、私たちを支援する専門家が来てくれるのです。ありがたかったです。

*孤独な子育てから,楽しい子育てに

私が地域訓練会に入った当初の目的は、「徹之を訓練して、小学校に入るまでに障害を治したい」ということでした。でも、私はいつも、徹之のことはそっちのけで会の運営に熱心になっていました。家に帰ると、親子してクタクタで、「今日はいったいなんの訓練をしたんだっけ?」という有様です。毎回、訓練とは名ばかりで、障害児もきょうだい児も親もボランティアさんも、みんなで一緒に楽しく遊んだだけのような気がします。でも、私はそれだけで十分癒されました。親同士で知恵を出し合い、助け合い、励まし合い、連帯感を持つことができました。ここなら、お互いに何でも悩みをうち明けあうことができます。そうやって試行錯誤しながらも、自分たちで運営することで、社会人として一役を担っているという自信になりました。ですから、地域訓練会は子どもの訓練会と言うだけでなく、親たちが親業を学んで視野を広げる、親たちが友達をつくる、親たちの訓練会でもあったように思います。私は、地域訓練会と出会い、いろいろ活動する中で、「私一人じゃないんだ」と自分の孤独感が癒されました。「私の育児が間違っていたからではないんだ」と、失っていた育児への自信を回復しました。そして、徹之の多くの行動に対してイライラしていた私の心も、「障害があるからなんだ」と、穏やかになりました。徹之の障害のことも、恥ずかしがらずに、しっかりと受け止められるようになりました。子育ても、それまでの孤独な「孤育て」から楽しい子育てに、育児も、子どもを育てるだけでなく自分も成長していく「育自」に変わっていきました。そうしてはじめて、「障害児の親であっても、私は私らしく生きていこう」と、持ち前の明るさを取り戻すことができたのです。
 徹之が障害児と言われたばかりの頃は、講演会で、「障害のあるこの子を育てて、多くのことを学びました。有意義な人生になっています。この子の親でよかったと思います」という親の話を聞いても、「そんなの強がりじゃないの?負け惜しみじゃないかな」と、素直には聞けなかったのです。でも、そのうち、「私もそんな人生を送れるように努力しよう。徹之が他の子と同じでなくてもいい、普通の育児書にない子育ても、面白いかもしれない」と思えるようになったのですから、不思議です。

*私の「地域に生きる」歩みの原点になった

専門家の皆さんから教えていただいたことも、私に力を与えてくれました。「障害児も普通の人と対等な関係で、お互いの個性を認め合い、人間として尊重され、差別されることなく、社会の一員として生活できるようにする」という「ノーマライゼーション」の考えや、そのために「社会に統合する」という「インテグレーション」の考えが、私を親として賢い子育てができるように導いてくれたのです。今でこそ、誰もが言うようになりましたが、当時の世間はまだまだ「ノーマライゼーション」にはほど遠いものでした。しかしこの考えは、私を「地域へ」と向かわせてくれる、大きな力になりました。そして私に、地域に飛び込む勇気を与えてくれました。
 この考えの裏付けがあってこそ、私がその後、「徹之を保育園に入れたい」と願い、「徹之を普通学級に通わせたい」と願い、小学二年生のときに「障害者は施設に行くのがあたりまえ」と信じる地方都市に転勤したときも、「地域の中で生きる」ことの大切さを、行政や地域の方たちにうまくお話することができたのです。中でも、この地域訓練会で、電機労連(現.電機連合)の福祉相談員をされていた、加藤一男さんと出会えたのは、とても幸運なことでした。徹之と歩んできた二九年間の中で、どのチャレンジの場面でも、加藤さんの存在がなければ成功しなかった、と言ってもいいくらいです。保育園入園運動から、小学校・中学校・定時制高校の入学時、学校への付き添い、就労の拠点としての作業所づくり、そして公務員試験への挑戦まで、どんな場面でも常に徹之の立場に立って支援してくださいました。私が厚い壁の前で立ち止まると、加藤さんは、徹之に「行きたい」「やりたい」という意志を確認して、時には厳しく時にはさりげなく、適切なアドバイスをくださり、背中を押してくださいました。そのおかげで、私は「地域の中で生きる」道を歩き続けてこれたと思っています。

それから、川崎市内の各地区で地域訓練会を開いている親たちは、月一回集まり、運営についての話し合いをしたり、予算などで行政と交渉をしました。私も親の会の役員として、子どもを主人やボランティアさんに預けて定例会に参加しました(そのあとの居酒屋での飲み会は、私にとって初めての体験でした。笑ったり、怒ったり、討論したり、その自由さがとても楽しかった!育児のストレスを発散できる場でもありました)。私は一人の人間「明石洋子」として、社会の中で市民活動をしているようで、世界がとても広がりました。こうして地域訓練会は、私が「地域に根ざす」生き方を学び、「地域に生きる」歩みを始める原点となりました。

*少しスローな子どもも、仲間のほしい親も

地域訓練会には障害児だけでなく、障害があるわけではないけれど、「友達がいない」「友達とうまく遊べない」「ことばが少し遅いようだ」という子どもたちも来ていました。そんな少し発達がスローな子どもたちや、子育てに悩んだり、子育ての仲間がいない親たちも、「仲間が欲しい」とやって来ていたのです。
   その後、普通児になっていったその子どもたちは、小学校に入ってからも、クラスメートとして徹之を支えてくれました。親たちも、私たちの生活を支えてくれました。ある家族は、福岡の私の親類に急な不幸があった時、一人残した徹之を、わが家に一家で泊まり込んで面倒を見てくれました。徹之がそのお家に泊まるのは無理ですが、その家族は徹之のことをよく知っていましたので、わが家でなら大丈夫と、安心してお願いできたのです。
 今では、私たちは、「サポートセンター・あおぞらの街」というNPO法人を立ち上げて、そういう時の家族を支えられるようになっています。しかし20年前の当時は、障害児がいるというだけで、親戚の冠婚葬祭にも不義理をしなくてはならないことが多々あったのです。こうして地域訓練会で、私たちはたくさんの仲間と出会い、お互いに助け合うことができました。
 《ですから、平成四年に川崎市内に三ヶ所の療育センターが整備され、当初の目的は達したという理由で、地域訓練会が「発展的解消」になったのは残念です。今なら、子育てに悩む若い親たちへの子育て支援の場として、お役に立てたことでしょう》


    明石洋子 著 ぶどう社 http://www.budousha.co.jp/
      自閉症の息子と共に・・・・・・(1) 『ありのままの子育て』  1700円
      自閉症の息子と共に・・・・・・(2) 『自立への子育て』  1700円
      自閉症の息子と共に・・・・・・(3) 『お仕事がんばります』 2,100円(税込)(A5判・208頁)
       (2003年春・刊行予定 2004.7.7.現在未刊 2004年内出版予定とのこと 2004.9.24.
      ・・・漸く2005.4.初め出版され、全3巻完結しました)
      → おすすめブックリスト

      「NPO法人 サポートセンターあおぞらの街」は2005.3.解散、同4月、「社会福祉法人 あおぞら共生会」として再スタート、明石さんはその副理事長となる → おすすめホームページ2003

    new 「明石洋子さんコ−ナ−」 http://cen.web.infoseek.co.jp/magari-akasi.html
2003年版

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