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あとがきにかえて


あたりまえに地域で暮らす 岡部 耕輔

このリソースブックでは、障害のある子供たちが地域で暮らすための社会資源(リソース)を紹介してきました。でも、子供たちは遠からず、成人していきます。そして、すくなくとも、現在の日本では、成人した知的障害・自閉症の人たちが親元を離れて暮らしている場合、その多くは、地域ではなく入所施設の生活であるという現実があります。
 一方で、日本でもやっと最近、「障害のある人もあたりまえに地域で暮らす」ということが言われるようになってきました。また、行政のほうでも――財政支出の削減に動機づけられている場合が多いようであるとはいえ――「入所施設解体」などの動きも出始めています。しかし、これで将来我が子たちがあたりまえに地域で暮らせる道筋がついた、というのは、まだまだ解決しなくてはいけない問題が山積しているように思います。。
 欧米の多くの国では、かなり前から入所施設は縮小し、全く廃止された国まであります。そういうところで脱施設や地域移行はどのような形でおこなわれてきたのかを知ることはこういう問題の理解や解決に大きなヒントを与えてくれるのではないか。そう考えて、昨年、福祉関係者や障害当事者の仲間たちと共に、アメリカで初めて発達障害者入所施設を全廃した州であるニューハンプシャーに行ってきました。
 そこでわかったことは、ニューハンプシャー州の脱施設は、施設解体命令という形で強制的に進められたのではなく、段階的で着実な地域移行の結果だったということです。

まず、障害のある人たちがあたりまえにコミュニティで暮らすことを望む親と州政府の専門家が連携してロビー活動を行い、地域で暮らすことを障害当事者の権利とし、いままでの施設予算の財源を地域サービスに使えるようにする州法が1975年に制定されました。そしてこの法律を根拠として、地域のサービスの充実が図られ、施設職員は、再教育をうけて地域サービスの担い手として転換がすすめられました。その結果、入所者と職員は次第に減り、立法から16年後の1991年に、最盛期には1200人を越していた入所者が、ついに20人を切ったところで、初めて施設閉鎖が正式に宣言され、その半年後に、ニューハンプシャー州から、発達障害者の入所施設は消滅しました。施設の廃止後、その建物は、刑務所に―アメリカで廃止された入所施設には多くあることだそうですが―転用されたということです。
 これらのことは、施設解体と地域移行には、その前提として、障害のある人が他の市民と同じくあたりまえに暮らす権利を確認し、そのために必要な費用を国と地域が負担する合意形成、地域サービスの整備と利用促進が図られることが極めて重要であるということを示しています。しかし、日本ではニューハンプシャー州で行われてきたような地域の合意、施設利用者にとっても施設職員にとっても無理のない地域の環境整備と移行のスケジューリングは前提になっているのでしょうか。

 

一方で、ニューハンプシャー州でも、「大きな反省点」があったそうです。それは、「障害をもった当事者を中心とせず、親や専門家主導で地域移行を進めてしまったこと」であると、地元の福祉関係者は語っていました。その結果、地域サービスの一部が、「当事者本位ではなく、福祉関係者本位となってしまう傾向」「当事者運動を支援者が『引っ張って』しまう傾向」が今でも続いているということです。
 このことは、これから脱施設が始まる日本においては、更に注意し強調しなくてはならないところでしょう。多くの入所施設の利用者は、家族や行政の都合で、長い間入所施設で生活してきました。それが今度は、「もう入所施設はいらない」とばかりに、そこを出ることまでもが強制され、なんの支えも保障されずに地域へと放り出されてしまうのでしょうか。「もうだれかに決められたり、命令されたりするのはたくさんだ」と、彼らは思うに違いありません。脱施設とは、あくまで障害をもつ人の地域生活の権利を守ることの結果であり、その主体性や自己決定を脅かすことであってはならないのです
 

すなわち、地域移行とは、障害をもつ当事者自身へのエンパワメントと地域生活のための費用とサービスの保障が前提となったうえで、あくまでその人本人の意志で選ばれるものでなくてはなくてはならない、ということです。
 しかしそれは、私たちひとりひとりが、手をつかねていてはやってきません。「実際の脱施設化の運動は、本当に小さな団体か個人が『だれか』を施設からだすことで、動かされていったんだ。」「改革は、できることをできるところでやる人が、数多く存在することで担われてきた。」いずれも、ニューハンプシャー州の関係者の言葉です。脱施設はこういったひとりひとりの運動の積み重ねとして実現しています。
 私たち障害をもつ子供の親も、将来の我が子の選択による地域での自立生活を願うならば、我が子に対してその将来の自立生活のための基盤となる豊かな経験と自尊感情を育み続ける一方で、成人している障害をもつ人たちの支援者としても、その主体性や自己決定が脅かされることなくその地域生活の権利が守られることを求めていかねばならないのではないでしょうか。

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-----Original Message----- From: koka@...  Sent: Saturday, August 16, 2003 10:41 PM To: mleft@ml.eft.gr.jp Subject: [mleft:5470] ハッピードラゴン

岡部耕典です。

ハッピードラゴンを知っていますか・・・
そう、ネバーエンディングストーリーに出てきた子供を守る竜

白くて
毛むくじゃらで
暖かくて
優しい眼をして
力強くて
ちょぴり意地悪

小さいときだれもが欲しかった自分だけの守護神
だれもに認められず
自信がなくて
弱虫

でも、ハッピードラゴンは、そんな子供のところにこそ現れる

どんなに母親が子供を愛しても
どんなに父親が子供を護ろうとしても
あるときから子供は思春期という「孤独な戦い」を開始する
それは、子供が大人になることを助ける「もうひとりの自分」

ミハエル・エンデの描いたのは深層心理のシンボルですが
我が愚息は血の通ったハッピードラゴンを持っている

それも何人も・・・

たくましい長髪のドラゴン
金髪でいかしてるドラゴン
思慮深く個性的なドラゴン
なりたてで、あくまでも純粋なドラゴン
そして、お盆に帰省して、
カレーパンを買って遊びに来てくれた
昔のドラゴン
(愚息を写真に収め大事に持って帰ってくれた・・涙)

心より感謝です、たくさんのハッピードラゴンたち

障害児ひとりひとりにハッピードラゴンを
「動く施設」ではなく「人の城」を
彼らがドラゴンにしっかりと寄り添われ
だれしもが迷い狂う思春期を乗り越えて
自分が自分であることの自信と誇りを我がものとするとき

そうなれば
「もう施設はいらない」

永久に・・・
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  -----Original Message----- From: koka@... Sent: Saturday, August 23, 2003 3:48 AM To: mleft@ml.eft.gr.jp Subject: [mleft:5491] 父よ・母よ・兄弟よ

岡部耕典です。

この数日、あった人や考えたことなどから、下記のようなことを書きたくなって。・・・障害児の父として自戒の念を込めつつ

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「父よ・母よ・兄弟よ」

定年退職の日「これからは家庭と地域に・・」と語る父
しかし、私が本当に必要なときにはいなかったあなた
小さいときの母とふたりっきりの誕生日は忘れない

父よ、私はもう、あなたを必要としません。

父が亡くなり兄弟が家を出て、私と二人で暮らす母
しかし、私は年老いたあなたの下僕ではなく
障害年金はあなたへの貢物ではなく

母よ、私はもう、あなたを必要としません。

私が施設をでることをどうしても嫌だといい
それなのに私の年金は、あなたが管理する
親の残した財産は、全部あなたのものとなる

兄弟よ、私はもう、あなたを必要としません。

父よ・母よ・兄弟よ、わたしの声を聞け

わたしは、「保護者」はいらない
わたしは、ひとりで生きる
わたしは、仲間と生きる
わたしは、支援者と生きる
わたしは、地域で生きる

支援者としての親
仲間としての兄弟

新たなわたしとあなたたちの関係を求めるならば
父よ・母よ・兄弟よ、わたしの声を聞け


さもければ、わたしはもう、あなたたちはいらない

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